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─26─ 前哨戦

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-08-02 20:30:00

 闇の中に紛れるように、漆黒の一団の行軍が行われている。

 他でもなくその目的は、目前の敵……蒼の隊に夜襲を仕掛けるためである。

 これは、ロンドベルト直々の命令ではなく、イング隊参謀の独断だった。

 出兵前、良かれと思って敵国神官を匿っていると本国に報告したあの行動が、ロンドベルトの逆鱗に触れてしまった。

 そう理解していた参謀は、名誉挽回の機会を狙っていた。

 ただでさえ覚えがめでたくない以上、どうにかしてロンドベルトの信頼を得たい。

 そのためには、何か勲功をあげるのが手っ取り早い。

 できれば、本隊が到着する前に勝敗を決しておきたい。

 そんな焦りにも似た感情から、参謀はロンドベルトの指示を仰ぐことなく作戦を決行した。

 圧倒的に有利な戦況が、参謀の思考を惑わせていたのかもしれない。

 息を殺して進軍すること、しばし。

 遂に前方に、敵本陣に焚かれるかがり火が見えた。

 参謀は右手を高々と上げると、敵陣に向けて振り下ろす。

 それを合図に、闇の中を無数の火矢が飛ぶ。

 大地に突き刺さった火矢から燃え移り、前方の草むらに火の手が上がる。

 それを見計らって、騎馬隊が攻撃を仕掛けるべく敵陣目指して駆け込んで行く。

 数の上でも、そして恐らく士気においてもこちらが上だ。

 赤子の手をひねるように勝利は転がり込んで来るだろう。

 そう確信し、参謀は自らも抜剣し敵陣へと向かう。

 だが、そんな彼の目に写ったものは、戸惑い右往左往する自軍の姿だった。

 そう、敵本陣には人っ子一人いなかったのである。

「参謀、これは一体……」

「よもや、我らに恐れをなして、戦わずして逃げたのか?」

「何が常勝軍団だ。とんだ腰抜けじゃないか」

 軽口が叩かれ、どっと笑い声が上がる。

 張り詰めていた緊張感が、緩んでいく。

 そんな時だった。

 突如として、鬨の声が上がった。

「何……?」

 慌てて剣を構え直すが、既に遅かった。

 左右から無数
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  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─25─ 同情

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